2015年




ーーー8/4−−− マレットゴルフその後 


 
マレットゴルフについて、6月のこの欄に書いた。その後、7月初めに公民館主催の大会が開催された。私の成績はと言うと、27ホールを回ってスコア150、出場した21人の中で最下位だった。この結果は、いささかショックだった。何回か練習を重ね、その手応えから、120くらいで回れると予想していたのである。しかし、いざコースへ出ると、ティーショットは打ちミスが続出し、パットは何回打っても入らないと言う有様だった。一緒に回った人から、何度も励ましの言葉を貰ったが、それが恥ずかしいくらいだった。

 ゲートボールのスティックを使ったのが、悪い結果につながったと分析した。狭いエリヤで競技をするゲートボールと違い、マレットゴルフは一打で数十メートルを転がすプレーが求められる。だから、マレットゴルフのスティックは、ヘッドが重く、しかも反発が大きいように出来ている。強く打つと、カキーンという金属的な音がする。私が使ったゲートボールのスティックは、古めかしい木製のヘッドで、強打してもボカッという鈍い音しかしなかった。もっとも、ジャストミートしていないせいかも知れないが。

 人知れずだが、汚名返上をせねばならないと思った。そこで、マレットゴルフのスティックを購入することにした。家内がネットで調べて、入門者用セットというのが特価で出ているのを見つけた。スティックとボールと、ポシェットとカードホルダーがセットになったものである。ポシェットは専用のもので、メッシュのボール入れが二つ付いている。これは便利なものだと、後で使って気が付いた。

 ちゃんとした道具が手に入ったので、練習の頻度がアップした。天気の良い日は、毎日のように出掛ける。早朝の、誰もいないコースに入る。途中、重点的な練習も混ぜながら、おおむね18ホールを1時間程度で回る。

 指導者がいるわけではないので、自己流で改善を試みなければならない。何度もやっているうちに、少しずつコツのようなものが分かってきた。打球の強弱が、決定的に大切な事だというのも分かってきた。ほとんどの失敗は、強く打ちすぎるために起きる。地形の状況に合わせて、デリケートに打球の強弱を調整する事が肝心なのだ。もっとも頭で理解しただけではダメで、繰り返し練習をして体で覚えなければならないが。

 よく利用するのは、立足マレットゴルフ場である。自宅から車で5、6分の場所にある。マレットゴルフ場は、他にもいろいろ有る。ネットで調べたら、安曇野市だけでも11ヶ所見つかった。そのうちのいくつかに、足を運んでみた。それぞれ環境や立地条件が違っていて、興味深かった。河川敷のコースは平坦で穏やか。山の中腹に設けられたコースは、アップダウンが激しく、山歩きをしているようだった。地形に応じてコース作りに工夫が凝らされていた。未知のコースを求めて、各地のマレットゴルフ場へ出掛ける日帰り旅行も、楽しいかも知れない。

 マレットゴルフ場は、ほとんどの場合無料か、あるいは極めて低額の料金で利用できる。しかも、コンペなどのイベントを除けば、いつも空いている。順番待ちなどという事は、まずない。これは田舎ならではのメリットである。大都会で、スポーツ施設が無料で使え、しかも空いているなどというのは、ありえない。長野県では、生涯スポーツ振興の観点から、行政が主導してマレットゴルフ場を設置してきた経緯もあるようだ。ともあれ、このようなメリットを生かさない手は無い。

 早朝練習に行くと、年配の夫婦がコースを回っているのを時々目にする(夫婦ではないかも知れないが)。夫婦で取り組むのも、楽しいと思う。上に述べたように、マレットゴルフを目的に旅行をすれば、観光旅行とは一味違った楽しさがあるだろう。と思うのだが、うちのカミさんは道具を使ったスポーツが、どうも苦手のようである。  




ーーー8/11−−− 薪の品質


 我が家の暖房は、薪ストーブである。以前は、学校の教室で使うような、強制通風型の石油ストーブを使っていた。そのストーブは今でも使えるが、それが置かれている食堂はは、現在では生活の場になっていない。子供たちが家を出て、さらに父が亡くなり、母が東京へ越してから、家内と二人だけの暮らしになった。それまで、特別な時にだけ家族の集いの場だった、ロビーと呼ばれてきたおよそ十坪の大部屋を、二人だけで自由気ままに使うようになった。私も家内も、起きている時間の大半をその部屋で過ごす。その部屋の暖房が、薪ストーブなので、我が家の暖房は現在薪ストーブなのである。

 薪ストーブは、快適である。暖かさがじんわりと穏かで、しかも部屋全体が温まる感じである。そして、送風機の騒音が無く、静かである。さらに、メラメラと燃える炎を眺めると、気持ちが落ち着く。夜の間は、大き目の薪を突っ込んで、空気孔を絞っておけば、一晩中ボソボソと燃える。翌朝空気孔を開けば、火勢を取り戻す。そのように使えば、部屋が完全に冷え切ることが無い。

 以前も書いたが、薪ストーブの悩ましい点は、薪の準備である。ホームセンターで売っている、一束500円くらいの薪に頼ったら、お金がいくらあっても足りない。薪は自分で作らなければならないのだ。理想的なのは、情報網を張り巡らして、不要な木材が出たら引き取りに行き、それを切って割って薪にすること。しかし、それだけを当てにしては、もし必要な量が揃わなければ冬を過ごせない。そこで、林業家から丸太を購入する。以前は三年に一度注文するくらいで足りたのだが、薪ストーブを主たる熱源にするようになってからは、毎年届けてもらうようになった。

 丸太も自然の産物なので、その都度ずいぶん内容が違ったりする。一昨年は、ケヤキが大部分を占めた。こんなことは初めてだった。それまでは、クヌギやニセアカシアがメインだったのである。ケヤキの問題点は、割れにくいところにある。斧で割り込んでも、繊維が絡まってくっ付き合い、素直にパカッとは割れないのである。とても斧では割り切れないので、電動薪割り機を導入した。と言っても、業者が使うような高馬力の、それこそ何でも強引に割ってしまうようなシロモノではない。いかにも非力な装置であった。無頓着に扱うと、ほんの30センチ程度の長さの丸太でも、割れずに機械が止まってしまう。当初はインチキ品だから返品しようかと考えたくらいである。しかし、粘り強く試行錯誤を繰り返すうちに、有効な使い方をマスターした。まるで騙しだましといった感じではあったが、厄介なケヤキを、すべてその非力なマシンで割り終えた。

 昨年入荷した丸太は、ずいぶん細かった。直径8センチ程度の、枝のようなものすら数多く含まれていた。こういう細い丸太は、加工をするにはラクだが、何か物足りない。出来上がった薪の絶対量も、少ないように感じられた。いつも通り2トン車一杯という事で購入したのだが、一冬持たないようなヴォリュームだった。結果的には、幸いにも別口で二件、入手出来た材があったたので、なんとか春まで薪ストーブを使うことができたが。

 今年は、太目の丸太にしてくれとリクエストをした。届いたモノは、確かにしっかりとした太さのニセアカシアの山だった。トラックを運転してきた林業家は、昨年の件の言い訳のようにして「細い丸太を希望するお客さんもいるんです。太いと、切ったり割ったりが大変だからなんでしょうね」と述べた。

 要するに、自然に生えている木だから、樹種も色々だし、サイズも色々なのだ。幹は太い木でも、枝まで使おうとすれば、細いものも混じらざるをえない。森林から産するのは、ユーザーにとって都合が良い材ばかりでは無いのだ。林業家としては、問題含みの材を、いかに上手く回してユーザーに売りつけるかが、腕の見せ所なのだろう。こちらとしても、一回のことで文句を付け、関係が悪くなるような事は避けたい。現在ストーブ用の薪は、売り手市場の感が強い。

 今回は、希望したサイズの丸太が来て、ラッキーだった。しかし、ラッキーだったとばかり言えるだろうか。丸太の玉切りは私がチェーンソーで、それを割るのは家内が電動薪割り機で、という分業体制である。ところが両名とも、年齢が進むにつれて馬力が無くなって来た。希望して入手した太い丸太の山だが、その存在感は威圧的であり、いつ終わるか分からない、途方も無い重労働を予想させた。

 























ーーー8/18−−− パソコンのメンテナンス

 
 現在使っているパソコンは、購入して6年目である。だいぶ前から動きが悪くなった。遅い動作を忍耐し、壊れないようにと祈りながら使う日々である。最近は、冷却ファンがウーンウーンと、苦しそうな音を上げるようになった。その騒音を聞くと、ますます不安がつのる。

 先日帰省した息子が、その状況を見て、CPUのグリスを交換すれば直ると言った。最初は、何のことかさっぱり分からなかった。詳しい説明を聞くと、こうだった。CPUの温度が高くなっているので、冷却ファンが頑張って異常な稼動状態になっている。温度が高くなっているのは、冷却システムが上手く機能していないから。その原因の一つは、フィルターの目詰まりなどで冷却空気の流れが阻害されていること。そしてもう一つは、CPUとヒートシンクを密着させるために塗られているグリスが経年劣化したため、熱の伝導が下がっているからだと。そのグリスの交換を、息子は自分のパソコンで2回ほど実施したことがあるが、効果は絶大だったそうである。

 息子が居る間に、直してもらおうと思った。グリスは、パソコンを取り扱っている電気店なら置いてあるはずだと言うので、市内の家電量販店に電話をして聞いてみた。しばらく待たされた後に「お取り寄せになります」との答えが返ってきた。それでは間に合わないから、ネット通販で購入することにした。手ごろな金額の品で、翌日配達可のものを注文した。

 翌日、私は地域の行事の準備のため、午後から出掛けなければならなかった。修理はグリスが届いてから息子にやってもらうことにして、午前中にパソコンのケースを外して、冷却システムを分解した。中はホコリだらけだった。ヒートシンクにもホコリが堆積していた。そのホコリだけでも、ずいぶん冷却の妨げになっているように思われた。ヒートシンクを取り外すと、その奥にCPUがあった。パソコンの心臓部である。パソコンの膨大な機能は、この部品によって生み出される。それにしても、小さい。「こんなもので?」という印象は拭えない。

 CPUの表面には、樹脂がこびりついていた。元々は流動性のあるグリスだが、年月が経つにつれて乾燥し、パサパサ状態になっている。このグリスは、CPUとヒートシンクを密着させ、熱を伝える役割を果たしている。パサパサになると、伝熱効果が下がり、冷却性能が低下する。両者の接触面に残った樹脂を除去して綺麗にし、新しいグリスを塗布して挟み込めば、伝熱効果は新品同様に戻るというわけだ。

 ヒートシンクというものを初めて手にしたが、なかなか見事な品物である。アルミ製の、多数の襞を持つ部品なのだが、その幾何学的な構成が何とも美しい。繊細で精密、いかにも完成度が高い。オブジェとして、視覚的に楽しめそうな代物である。

 夜になって行事から戻ると、修理は完了していた。例の喘ぐようなファンの音は、完全に消滅した。わずか数百円の出費で、パソコンは良い状態に戻ったのだ。

 CPUは、温度が上がると保護機能が働き、自動的に出力を下げるそうである。そのために、パソコンの動作が遅くなる。だから、冷却システムを改善すれば、パソコンの動きも良くなるはずだと息子は言った。たしかに修理後、多少動作がスムーズになったように感じた。それはともかく、あの不安をつのらせる騒音が無くなっただけでも、大いに有り難かった。

 パソコンの動作改善というと、診断ソフトを使ってハードディスクに溜まったファイルの整理をするとか、思い切って初期化するとか、ソフト面での対策しか頭に無かった。今回実施したような、ハードに関わるメンテナンスのやり方があるなど、全く知らなかった。息子はだいぶ前に、ネットで知ったそうである。どの分野でも同じだが、役に立つ情報というものは、実は巷に溢れているのだろう。問題は、どのようにしてそれと遭遇する機会を得るかである。


 

ーーー8/25−−− 娘と常念岳登山


 お盆休みに帰省した次女が、山登りをしたいと、新調した登山靴を持ってきた。日帰りで常念岳へ行くことにした。この山の日帰りは、過去に一回やったことがある。その時はあまり体力に自信が無く、100%成功するとは思わなかった。しかし、順調に事が運び、無事に登ることができた。その経験があるので、今回は何も心配しなかった。次女は元々運動系で、現在も時々ランニングなどをしているそうだから、体力に問題は無いだろう。お気楽山行になることが予想された。

 8月12日水曜日、4時半に自宅を出る予定が、30分ほど遅れた。私も娘も、前の日にちゃんと準備をしていなかったからである。それでも、別に気にする事は無い。時間の余裕は、十分にあるのだから。

 5時30分、一の沢の駐車場に到着。駐車場はちょうど満杯で、我が家の軽トラが最初の路上駐車となった。準備をし、ラジオ体操をして、出発。

 ほど良いペースでグングン登る。途中いくつものパーティーを追い抜いた。9時40分、常念乗越に到着。早朝から高曇りの天気で、眺望が利かぬことを覚悟していたが、乗越の上に立つと、目の前にドーンと槍ヶ岳が見えた。これは嬉しいサプライズだ。

 乗越の岩の上に座って休憩していたら、突然左足の腿がつった。これは悲しいサプライズだった。無理に急いで登ったわけではない。体力的には十分に余裕があった。にもかかわらず、腿がつるとは。娘が、ストレッチをすると良いと言うので、いくつかのポーズを試みたが、痛くて思うように出来なかった。実は数年前から、ちょっと無理をすると足がつる傾向が現れてきた。今回も、携行した薬入れには、足つりを鎮める薬が入れてあった。さっそくそれを呑んでみたが、即効性があるはずなのに、目立った効果は現れなかった。

 しばらく静かにしていたら、痛みが治まった。なんとか歩けそうだ。常念岳の山頂まで標高差およそ400メートル。その登りを開始した。歩き始めて10分もしないうちに、今度は右足の腿がつった。腿のつりは、ふくらはぎより深刻である。全身で最も大きな部類の筋肉である。それに痛みが来たら、身体を支えられない。立っているだけでも辛い。傾斜を登るなど、とんでもない。

 私はもはや登れない。山行中にパーティーを分けて別行動を取るのはご法度だが、娘はせっかく楽しみにして来たのだから、登らせてやりたい。見通しの利く斜面で、迷う部分は無いし、危険箇所も無い。周りに登山者も居る。私は乗越に戻って待っているから、一人で登って来いと言ったら、娘は了承した。

 娘と分かれて下りにかかった。足がつっても、下りなら大丈夫というのは、過去に経験済みだ。5分ほど歩いたら、なんだかまた登れそうな気がしてきた。くるりと向きを変えて、斜面に対峙した。時間はまだ十分にある。登れる所まで行ってみることにした。極めてスローペースで、登山靴の長さの半分を一歩でという感じで歩き出した。そして、先ほどつった右足をかばって、段差が大きいところは左足で乗り越えるようにした。そうしたら、自分でも驚いたのだが、「つり」は再発せず、登り続けることが出来た。

 一度腿がつったら、その日はもう登りは不可能だと、経験的に決め付けていた。いったん痛みが引いても、負荷をかければ、つまり登りの動作を取れば、すぐにまたつって激痛が起こり、歩行は続けられなくなるというのが、私の中の定説だった。しかし今回は違っていた。何が原因かは分からない。下りの歩行がストレッチ効果になったのか、それとも薬の効き目が遅れて出たのか。ともかく、ゆっくりだが、歩き続けられた。トボトボでも、歩き続ければ、必ず頂上に行ける。

 山頂の人たちの輪郭が見えるくらいまで登った所で、降りてくる娘を発見した。声をかけたら気が付いたようで、驚いた顔をした。私が頂上まで登れそうだと言うと、じゃあ私ももう一度行こうかなと言って、後ろを向いた。二人揃って歩き、頂上に達した。登り始めて1時間20分ほど経過していたが、先ほど娘は40分で登ったそうである。

 晴天ではなかったが、眺望は良かった。眼前の槍穂高連峰が立派だった。ぐるりと見渡すと、八ヶ岳、南アルプス、御岳山、乗鞍岳さらに北方には立山、剣岳、鹿島槍ヶ岳まで見えた。満足が行く眺めだった。登った甲斐があった。

 山頂の岩陰で湯を沸かし、昼食をとった。しばらくくつろいだ後、下山の途についた。娘は下りが嫌だと言う。心身ともに疲れるからだと。それでも、常念乗越から一の沢へ下る頃には、だいぶ慣れてきたようだ。鼻歌交じりで快調に下る。何人も登山者を追い越して、4時過ぎに駐車場へ帰り着いた。

 帰路、温泉施設に立ち寄った。車を降り、入浴道具を持ってアプローチを歩き、玄関の直前まで来たときに、突然娘が転倒した。それは見事な転がりようで、アスファルトの上にドテンと横になった。私は一瞬何が起きたのか分からなかった。周囲の人たちも、驚いたようにして見ていた。玄関の前に立っていた案内嬢が、駆け寄ってきた。娘は舌打ちをして、「あ〜あ、ミスった。やっちゃった」と言った。緩めていた登山靴の紐が、反対側の靴にからまったのだそうである。それによる転倒は、極めてありがちな事である。しかし、足にちょっとかすり傷を負っただけで済んで良かった。以前同種の転倒で顔面を打ち、前歯を折った人がいたが、それは若かりし頃の家内である。


  



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